活動記録

梅津ようせいの、日々の活動の記録を綴っております。梅津ようせいをより身近かに感じていただけましたら幸いです。

近藤洋介(衆議院議員)

近藤洋介(衆議院議員)

同志の皆様、改めましておはようございます。
(会場、「おはようございます」の大合唱)

梅津ようせい候補予定者を中心に、
「オール山形」で、新しい山形をつくろう。
その城が、今日、完成を致しました。

「人は石垣、人は城」でありますが、
先ほど、鈴木隆一先輩、選対本部長の
お話を聴いて、素晴らしい本部長をいただき、
そして今日、お集まりを頂いた皆々様のお顔を見ながら
「いよいよ、戦(いくさ)が始まるな」。
私も気合を入れ直したい、そう思っております。

(会場、しばし静寂に包まれる)

梅津ようせいさん。

皆様にご案内の通りでありますけれども、
本当に素晴らしい男です。

何が素晴らしい。これほど誠実な男を、私は知りません。

30年前から付き合っています。山形東高校の、1年後輩です。
大学も、同じゼミナール(小林節ゼミ)でありました。

6年前に、まじめな外務省の課長職だった梅津ようせいさんを

「山形を、なんとか救って欲しい。
 そして山形県の参議院から、この政権をつくろうじゃないか」

と言って、鹿野道彦先生とともに担ぎ上げたのが私であります。

「申し訳ないことをしたな。」

正直いって、梅津さんを思っています。

でも梅津さんは、真面目に、そしてひたむきに、
この6年間、活動をされて来られました。

そして先ほどお話のあったとおり、鹿野道彦先生の秘書官として
3.11の山形、これに「なんとかしたい」ということで、
震災と向き合いました。

鹿野先生をお支えした農林水産大臣秘書官時代、そしてその後は
地元・山形に戻って「山形防災士会」、新しい会をゼロからつくり、

山形県を、そして山形市を
「災害から守りたい」そんな地道な活動を4年間、いや6年間
続けて参りました。

「大地に根を張った候補が必要だ。」という言葉は、
本日はこの場にいらっしゃいませんけれども、
本間利雄先生の言葉であります。

まさに山形県が「山形らしく」いるためには、
天から降った候補ではなくて、

「大地から湧き上った候補が必要なんだ」というのが
本間先生のお言葉でありますが(会場、歓声に包まれる)、

まさに梅津ようせい候補予定者こそ
この蔵王の麓で生まれ育って、そして中央で20年間
修業を積んで、
そしてその修業を素に、ふるさと山形に帰って来て、

「山形を『オール山形』で立て直したい」。

そんな志を持った男であります。

どうか、皆さん。

梅津ようせいと共に「オール山形」で闘っていこうではありませんか。
(会場、割れんばかりの拍手と歓声)

私も普段は赤のネクタイではありますけれども、本日は
この日のために、珍しく緑のネクタイをして参りました。

本日、配布資料を見たら、イメージカラーは「グリーン」だと
いう事でありました。

もうすでに「以心伝心」なのかなと、そんな思いでございます。
(会場、和やかな笑いにあふれる)

本当に私、残念ながら一票も持っていない米沢の住人に
なってしまいましたが(会場笑)、幸いにも私を産んでくれた
おふくろが松波に住んでおりますので、
おふくろにも死にもの狂いで、いや本当にそうなってしまうと
困るんでありますけれども(会場苦笑)、
一生懸命、母にも力を借りて、私も同級生を一人ひとり確かめて、
本当に一兵卒となって。

この城を拠点に闘いぬきたい。このように思います。

共にがんばりましょう。
(深々と一礼、会場から割れんばかりの拍手)

―7月4日、事務所開きにて―