活動記録

梅津ようせいの、これまでの記者会見、声明文をこちらのコーナーに掲載しました。
日々の活動の記録も綴っておりますので、梅津ようせいをより身近かに感じていただけましたら幸いです。

フォトギャラリーが200枚突破!!

オール山形フォトギャラリーに記念すべき200番目の写真がアップされました。 5月30日からの活動記録を、フォト動画にUPしたのでぜひ、ご覧ください! 明日も、オール山形でがんばろう!

ふるさとの田園風景

皆さん、今晩は。 梅津ようせいのお届けする ‪#‎山形日和‬ は、わが山形の美しいお盆の風景をお届けします。 出馬表明した時の田んぼから、稲も、実りの秋にむけすくすくと育ち稲穂が風にそよいでいます。 また、フルーツ王国山形を誇るの果物たちもいま、ブドウにスイカ、洋梨、モモと収穫の最盛期を迎えています。 いつまでも、未来の子ども達へも美しいふるさとの田園風景を残していきたいと、心から思います。

ふるさと山形を守る責任

皆さん、こんばんは。梅津ようせいです。 私が山形県の防災士会を立ち上げたのは、やはり東日本大震災がきっかけでした。 そしてまたこの度の山形市長選挙の立候補にあたり、東日本大震災のときの働きを評価してくださった多くの市民の皆様からのご要請と、ご支援を受けて出馬を決意し。現在、山形市長選にむけて挑戦しております。 東日本大震災の際は、わが山形では山形空港が大変重要な拠点となりました。 赤ちゃんの粉ミルクはじめ、様々な食料品や物資の供給など当時、農水大臣政務秘書官として奔走しました。その時の有事における経験を今後の山形市政の防災対策にもぜひ、活かしたい! 今回 あらためて「ふるさと山形を守る責任」について山形市長選の公約の中でもよくよく熟慮し、とくに防災政策については、私なりの想いも入れて徹底強化しました。 本日ご紹介する動画は、東日本大震災発災後はじめて山形駅から東京にむけて発車した始発の山形新幹線です。 あの日の早朝、山形駅のホームに立った時のこと、新幹線がホームに入ってきた瞬間のこと。 東京にむかう朝のことは、今でもよく脳裏に覚えています。 私が、ふるさと山形を守るぞ!と強く強く意識し始めたのもこの頃からでした。 梅津ようせい物語「東日本大震災発災後初の山形新幹線始発に乗る」 梅津ようせい

平和都市山形から8月15日を想う

bg-top01 今日は、終戦の日。 70年前の今日、あの戦いが終わり新しい日本が始まった日です。 私たちが過ごす今日の日本の繁栄と平和が、戦禍に倒れ、戦陣に散った皆様や我が国の侵略行為によって損害を被った国々の方々の犠牲の上に成り立っていることを思いおこし、二度とあのような戦争を起こしてはならないという反省と決意をしながら黙とうし、哀悼の意をささげました。 70年前のあの時はどうだったのか? 小さい頃に聞いた両親や祖父母の戦中戦後の話は、飛んできた米軍機から見えないよう小さな子供の身体を震えさせながら隠れたといった話や、戦後の混乱の中で着物などを売りながら食糧を買わなければならなかった餓えや貧困との戦いなど、今の豊かな生活からは到底考えられない話ばかりであったことを思い出します。 そしてまた、私の伯父が満州に渡り、ソ連軍の侵攻から逃げる途中で家族を失い、シベリアに抑留されてやっと帰国した話。 伯父はもう亡くなっており、また多くを聞く機会はありませんでしたが、戦禍に倒れた方々以外にも多くの日本人が様々な困難を乗り越えて、今や、世界で有数の繁栄国家を築いてきたことを思うとき、日本人としての偉大さや矜持を思わずにはいられないのです。 11885306_952838131447119_7334633110738121505_n 私は我が国が歩んできた戦中、戦後の歴史や、私の親族が歩んできた道などを思い出しながら、日本の安心、安全を守ることが日本の繁栄を盤石なものとする上での基本であるとの認識しつつ18年間、我が国への着上陸侵攻や大量破壊兵器による攻撃や国際テロなどの脅威から国を守るという防衛の仕事をし、そして役人としての最後の2年間は軍備管理・不拡散・軍縮外交という国際の平和と安全を図り、脅威の低減を図る仕事をしてきました。 今、私は、新しい山形市の創造、山形市長選挙に挑んでおります。 平和は、唱えてだけいれば良いというものではありません。 これまでの私の経験を生かしながら、平和をこの地域から発信し、国際社会の一員であることを市民の皆様お一人一人が感じながら積極的に参画できる街づくり、「平和都市山形」づくりをせねばならない。 その思いを新たにしながら、終戦の日という日を迎えております。 「平和都市山形」の繁栄を実現し、将来につなげていくために全力を尽くしていくことをお誓い申し上げ、終戦の日に寄せた梅津ようせいの決意といたします。 平成27年8月15日 梅津ようせい 11061769_952838081447124_5304746063495460571_n

70年目の日に平和を祈って

s_11058690_947924145271851_8870366100113451490_n 今日は8月6日、広島に原子爆弾が投下されてから70年目の日です。 この70年間の広島の歴史は、核兵器の恐ろしさとともに、困難に立ち向かい、それを克服する人間の偉大さを教えてくれます。 昭和20年の年の12月末までに14万人もの人々が犠牲となり、その後遺症は今でも多くの被爆者を苦しめています。 広島の人々は、この困難に挫けることなく、発展を継続してきました。広島と言う街が、世界の心ある指導者と市民から注目され、敬意を持たれ続けているのは、悲劇の街であると同時に、悲劇を乗り越えた「再生の街」であるからだと思います。 被爆者団体と安倍総理の会談では、被爆者の代表者から安保法案への不安の声も挙げられたとのこと。 戦争の悲惨さと核兵器の非人道性を最もよく知る人々からの指摘は、日本国全体にとっても、中央政治のリーダーにとっても非常に重いものだと思います。 海外の友人達と話をしていても、東京や大阪は勿論、広島や長崎に訪れたいと希望する人々がとても多くいらっしゃいます。そういう人々を増やし、核無き世界を実現するためには、やはり世界中の若者や指導者に広島、長崎を訪問して頂き、核兵器の悲惨さを改めて知ってもらうことが非常に重要です。 国内外の多くの指導者が「広島、長崎の地を訪れ、被爆の実相を学ぶように」と呼び掛けておられます。とても重要なことだと思います。 実際に広島の地を訪れてみると、魅力ある都市だと感じます。 平和都市としては勿論、沢山の観光資源や水辺の街としての美しさ、カープ、サンフレッチェ、都道府県対抗女子駅伝といったスポーツ面の魅力、最近は映画祭の開催にも力を入れておられます。ものづくり企業が集積する経済都市としての魅力も備えています。 私は、こういった多方面の魅力こそが、都市の一番の強みだと考えます。 もちろん、我が山形も負けてはいません。 私たちの街には、東北芸術工科大学をはじめ、山形国際映画祭など映画文化都市としての魅力を備え、モンテディオ山形を始めとするスポーツの魅力も溢れています。 そして、これまでも多くの先輩方が「平和都市山形」としての役割も大切にされてきました。 平和のような普遍的な価値の発信、とりわけ世界の人々への発信には、蔵王や山寺と言った日本的な美しさを実感できる景観や文化遺産、そして映画文化の持つ力はとても重要です。 多くの人々に訪れてもらう際には、山形の誇る美味しい果物や山形牛、蕎麦、つや姫、日本酒。 沢山の山形の特産品も重要であることも言うまでもありません。 こうしたいくつもの山形の宝を「オール山形」で有機的につなげていくことの大切さ、私が最も事にしたい点です。 日本中が平和を考えるこの8月、戦争の犠牲になった沢山の先人達、そして焼け野原から祖国と故郷を見事に再興していった先輩達のご苦労を思いながら、平和で豊かな国と故郷を未来世代へと繋ぐ責任を、改めて強く自覚する時間にしたいと思います。 70年目の日に、山形から平和を祈りながら。 2015年8月6日 梅津ようせい 11825203_947924038605195_6781600697697241473_n