活動記録

梅津ようせいの、これまでの記者会見、声明文をこちらのコーナーに掲載しました。
日々の活動の記録も綴っておりますので、梅津ようせいをより身近かに感じていただけましたら幸いです。

選挙戦3日目

9月8日、

選挙戦3日目ハイライト

皆さん、こんにちは。梅津ようせいです。選挙戦3日目は、朝礼の挨拶回りをして「オール山形」号で遊説です。

山形市の天気は、曇り。
初日夕方、昨夕は雨でした。昨日も雨の中、沢山の方が演説会場へお越しくださりました。

2日目は、小林節先生はもう一台の街宣車両のオール山形2号で遊説、街頭演説でお訴えしていただきました。

そして夕方以降は、個人演説会へ。個人演説会のスケジュールは公式ホームページやフェイスブックでもご覧いただけますので、お近くの方は何卒、お買い物帰りや、お仕事帰りにお気軽にお立ち寄り頂けると幸いです。

今回の選挙戦は、全国的に注目を集めるたいへん熾烈な大激戦の戦いです。しかし、そうした中にもいくつもの喜びがあります。

まず一番目に大学時代の恩師が、東京から山形に足を運んで応援してくださったこと。恩師だけではありません。
沢山のオール山形の仲間たちが、入れ替わり立ち代わり地元山形のみならず、全国から山形へ訪れて下さる。

そして、ネット選挙解禁によりインターネットを通じても沢山の皆さんが全国から大応援してくださいます。

引き続き、この選挙戦を通して皆様にふるさと山形の魅力や風景、香りを感じて頂きたいと思います。

また、日々何よりも嬉しく励みとなるのは、雨の中でも私のお訴えに、街頭で足を止めて下さったり、個人演説会に足を運んでくださる沢山の皆様がいらっしゃることです。本当にありがたい事だと思います。

たとえ、わずかな時間でも、そこには皆様お一人おひとりの時間が流れています。私の想いを聞いて頂くのに「人生の一部を費やして下さった」そういっても過言ではありません。その事を、私、梅津ようせいは心に刻んでおります。皆様、本当にありがとうございます。

さて、この日の活動の中で最も印象的だったことがあります。
夕方からの街頭、清住町のヤマザワ前でのこと。未来の有権者(=子どもたち)である可愛いらしい皆様が演説を聴いてくれました。

「あっ!ポスターで見たお兄ちゃんと、おじさんだ!」と、私と小林節先生の話にジッと耳を傾け拍手喝采を送ってくれました。なんと、演説最後には、サインを求められました!

そんな嬉しいハプニングとともに、もしもこの子たちがこの先10年、そして20年後と成長していったとき、私たちはどんな山形市を未来世代に残せるだろうか?そして託せるだろうか?と身が引き締まりました。

先人たちが守り、育み、そして繋いできた山形市を守り、そしてそのタスキを継承してゆく。

梅津ようせいは、皆さんとどんな山形市をつくって行きたいのか?
ホームページにも、基本政策を掲げてあります。また、10日夕方には決起大会を開催いたします。

是非ともご覧いただき、街頭で、そして演説会場で、ご意見をお聞かせください。

基本政策

選挙戦もいよいよ中盤戦です。
引き続き全力で、未来の山形にかける想いをオール山形で、お届けして参ります。

2015年9月8日
梅津ようせい 拝

選挙戦2日目

9月7日、選挙戦2日目ハイライト

皆さん、こんにちは。梅津ようせいです。

先日のJCの討論会でも明らかにした点ですが、
私が思い描く政策提言をより多くの市民の皆さんにお知らせできればと思い、選挙戦2日目の朝は、Facebookの投稿からスタート致しました。

まず、「将来の山形について」
「産業対策(農業・商業・工業・観光)について」
「高齢者政策について」
「子育て・教育について」
「サッカー専用スタジアムの建設・スポーツ政策」

そして
「119番問題について」。

私は、山大生の大久保君が亡くなられた時、一市民として消防の対応には納得できず、山形市民として大変申し訳ないと思いました。
わざわざ熊谷から山形に学びに来てくれているのに、助けることができなかった。

そうしたことから、事件の直後に、申し訳ないという思いを伝えたく、大久保君のふるさと熊谷のお墓に行き、手を合わせてお参りしてきました。

市長選など、全く考えていない時でしたし、一市民としてでしたが、そうしないではいられなかったのです。
このことは黙っていましたが、どこからか漏れてマスコミで報道されました。

政治は情。まして、市長は、市民の生命、財産を守る護民官でなければなりません。私は、この思いを忘れないでこれからも対応します。
この事件がきっかけとなって、山形が不名誉な形で報道され、山形で学ぼうとしている子供たちの親にも悪影響を与えてしまったことも良く知っています。
そのことから、私は、自らの政策で、「救急指令(119番)体制のさらなる強化のため、研修プログラムやソフト面対策の着実かつ確実な実施」を掲げました。

その後、選挙戦2日目の朝の第一声は、市役所前街頭演説からスタートしました。弁士には、市川昭男市長、石沢秀夫市議会議長、遠藤吉久先生が駆けつけて下さいました。雨の中、お集まりいただいた沢山の皆さん、本当にありがとうございました。
そして街頭演説のあと、選挙カー「オール山形号」で元気に遊説に出発しました。

一方、スタッフの皆さんは選対会議へ。事実上の選挙戦が昨日からスタートし、わが陣営は、士気も上がり熱気に包まれております。

選挙戦2日目この日は、午後から、大学時代の恩師・小林節先生が東京から駆けつけて下さいました。

先生は、この選挙戦ずっと地元に張り付いてくださいます。なんと心強い援軍なのか!

この日は、個人演説会場を何箇所か恩師と演説をご一緒しました。
ありがたくもあり、恐ろしくもあり。恩師の前での演説は、学生時代のゼミを思い出しました。

最後の個人演説会場は、今はなき父・庄四郎のふるさと、宝沢にもご一緒いただきました。恩師も、父のふるさとを訪れてくれたことを心から感謝しています。

小林先生と共にこの戦いにかける想いをうったえる姿、亡き父にも見せてあたかったなと思いました。母・晴美も演説会で亡き父の地元で訴えました。演説会終了後は、お越しいただいた皆さまにも小林先生と一緒に三人でお見送りさせていただきました。

この戦いは、私の想いを市民の皆様に届けると当時に、山形市の将来、そして山形市の「あるべき姿」を皆様から伺う、対話の一週間でもあります。

三日目以降も、山形市内を全力でオール山形一丸となって駆け抜けて参ります。

2015年9月7日
梅津ようせい拝

出陣式挨拶

9月6日選挙戦1日目
ハイライト

「出陣式挨拶」

皆さん、おはようございます。梅津ようせいです。本日はこのように大変多くの皆様にご参集をいただき、心から感謝申し上げます。ありがとうございます。

今、この壇上から皆様お一人お一人のお顔を拝見しています。この3か月、私、梅津ようせい、全力で、進んで参りましたが、本日、無事に出陣式を迎えられたのも、皆様の暖かいご支持とご支援のおかげであると感謝申し上げます。

これほど沢山の方々からお集まりいただいたのは、私が、これまでお訴えしてきた「オール山形」山形にかかわる全ての方々の力と知恵で、この山形の潜在力をもっともっと引き出していこうという思いを沢山の市民の皆様が共有していただけた結果だと思っております。

私たちの山形市は、誰か一人の実力者、あるいはどこか一つの大きな政党の指示で動くのではなく、自分たちのまちは自分たちの力で作るという市民の自治の心で発展してきた街であります。

山形県内35市町村が、また、全国の市町村が激しい生き残りのための競争を展開しております。県の都、山形市に住む一人ひとりの自治の力が、そして私たち山形の将来が問われている選挙であります。

新しい山形市を切り開く作るために、新人候補として、私、梅津ようせいは、次の4点をお誓いします。

1.次世代への投資

まず、素晴らしい山形を次の世代へつなげていくための子育て政策と教育政策です。
「子育てナンバーワン都市、山形」を目指していきます。
私は、山形を支える次の世代への投資のため、市長の退職金を返上してその財源を全額投入することをお約束します。この街で生まれ育ったものとしての覚悟をお示しするためであります。そのことをまず申し上げます。

そして、若いお父さん、お母さんが、山形で子供を産んでもらえるような施策を打ち出さなければなりません。
出産一時金の独自増額、二番目のお子さんについては、将来的に保育料を無料にするためのさらなる減額、教育においては、小中学校への空調設備整備の前倒しを進めます。加えて、高校生までの医療費無料化の検討や人気の児童遊戯施設南部への整備など安心して子育てができる魅力ある県都やまがた作りに全力を尽くすことを約束いたします。

2.経済・雇用の確保

2番目は雇用です。故郷の子ども達が、しっかり故郷で仕事をし、住み続けられるための経済の基盤を調えます。中央から仕事が降ってくることだけを期待する東京頼みの「待ちの姿勢」は捨てねばなりません。地方こそが主役となり、地場産業、地域経済を持続的に成長させていかなければなりません。

その中で柱となるのは観光だと思います。
第一に 観光資源の発信
山形市の財産である、蔵王・山寺の観光、
そぞろ歩きのできる町なか商店街の再開発、
フル規格新幹線などの高速交通網、
市内交通網の整備促進などを通じて、
美味しい農産物・工芸品の販売などを行う道の駅の整備など、

山形の持つ素晴らしい魅力・財産をどんどんとPRしていきます。
知事もさくらんぼの着ぐるみをかぶってかんばっている。
私も山形市を売り込みするならなんだってする。どんどん前へ出て魅力を伝える山形セールスマンとなります!

3.次に健康・福祉都市やまがたを作っていきます!

新しい山形市の起爆剤として、サッカー専用スタジアムの整備を行います。サッカースタジアムの整備は県民・市民の夢であります。
夢を実現するのが政治の役割。実現に向けて前進します。
また、お年寄りたちが元気で暮らしていただくことも大事です。体操やいきいきサロンなど、居場所をもっと充実し、交通網を作って町なかにも出られるようにすることで健康年齢をしっかり引き上げていくことはまだまだできます。元気なお年寄りが増えることで、介護保険料の増加を抑え、現役世代の負担も抑えられます。現役世代もお年寄りもともに笑顔が溢れる健康・福祉都市山形をめざします!

4.そして国際的な平和・文化都市山形を発展させていきます

安保法制、いま正に正念場にあります。
国を守ることは大事です。
しかし、市民の安全と平和を守るのが使命である市長の立場からは到底容認することはできない。国の基本的な約束である憲法を犯してまでも、危険な場所でもあるにも関わらず、危険でないといって若い皆さんを全世界に派遣する、そのような市民の理解の得られない法案には、絶対反対です。

そして、山形市は、いち早く平和都市宣言した町です。
私自身、外務省勤務時代は軍縮の仕事をしてまいりました。
この山形に、国際軍縮会議を招へいし、平和を発信する国際平和都市山形を目指していきます。

13日の投票日までの戦い、大変激しい戦いになります。
相手陣営、そしてその背後にある政権与党の力は巨大です。しかし、私は、全く恐れていません。なぜならば、今日ご参集の皆様の想い、そして、オール山形の力は、それよりももっと大きい!皆さん、いかがでしょうか?
私たちの戦いは、安保法案の衆院での強行採決に象徴されるような、「力」の大きさに頼った政治を進めるのか、市民の力、民の持つ力を活かす政治を進めるのかが問われる戦いであり、政治のあり方そのもの、地方自治のありかたそのものが問われる選挙であります。全国からも大変な注目を集める戦い。ここ山形から中央に、地方の声をあげていこうではありませんか!

私は5年前に山形に帰ってきました。なぜ帰ってきたのかを考える時があります。いつも答えは同じです。私を産み育ててくれた山形が大好きだからです。そして、今、幼なじみやこの5年で培ってきた仲間との絆、今日ご参集の皆様方とのつながりが私にはあります。その力をもって、私は、県都山形の発展のために、新しい山形を切り開いていく、その覚悟と自信でこの戦いに臨みます。
どうか皆さん、この選挙、皆さんのお力を梅津ようせいにお与えください。
48年の経験と大好きなふるさと山形への想いを持って、必ずや皆様のご期待に添えるよう、命の限り全力で戦い抜くことをお誓い申し上げ私の出陣にあたっての決意といたします。
梅津ようせいよろしくお願いいたします!

本日は、ありがとうございました。

2015年9月6日
梅津ようせい

明日はいよいよ戦いの日

今晩は。梅津ようせいです。

明日はいよいよ戦いの日を迎えます。
「平和都市山形を守る!」そして「山形の未来のために、オール山形でがんばろう!」日増しに想いが高まるのを感じています。

さて、このたび「梅津ようせいチャンネル」にて動画を一挙公開致しました。
https://www.youtube.com/user/umetsuyosei/videos

先日8月30日に開催された「女性の集い」ハイライトや、私が掲げる重点政策の提言、これまでの歩みを綴った「梅津ようせい物語」など、一人でも多くの皆さまにご覧いただけると幸いです。

明日からは、一つひとつのメッセージに込めた想いや願いについても解説して参ります。

今日も一日、オール山形でがんばろう!

平成27年9月5日
梅津ようせい

山形市民の歌を弾きながら

今日は『梅津ようせい物語〜山形市民の歌を弾きながら』をご紹介します。
山形市をイメージした時に真っ先に浮かぶのは、子供の頃から親しんだ「山形市民の歌」です。
拙い演奏ですが、山形市政への想いをぜひご覧ください!
ピアノを弾いたのも実に久しぶりですが、もっと弾けるように練習します‼

「梅津ようせい物語 山形市民の歌を弾きながら」