応援メッセージ

梅津ようせいの、これまでの記者会見、声明文をこちらのコーナーに掲載しました。
日々の活動の記録も綴っておりますので、梅津ようせいをより身近かに感じていただけましたら幸いです。

吉村美栄子(山形県知事)

吉村美栄子(山形県知事)


(会場、割れんばかりの拍手の中、登壇)


皆さま、こんばんは。
(会場、「こんばんは」の大合唱)

山形県知事の吉村美栄子でございます。
そして、山形市民でございます。
(会場、拍手)

ありがとうございます。本当に、たくさんの皆さんが、
集まって下さいました。
ありがたい事だと思っております。
そして、6年半前を 思い出しました。


あの時。
まったく無名だった私が、知事選に立候補致しました。
その時に、たくさんの皆さんが応援してくださいました。

私ひとりでは、とてもとてもそんな、戦えない。
それをですね、あの時集まって下さった皆さんが、
今日も集まって下さった皆さんが、かなりいらっしゃったと
思うんですけれども、その方々が、本当に一生懸命、
頑張って下さったんだと思っています。
改めて感謝いたします、皆さん、ありがとうございました。
(深く一礼、そして会場拍手)


さて、皆さん。
「山形市政」って、誰のためにあるんでしょうか。
(会場、しばし沈黙に包まれる)




市民のために、あるんじゃないでしょうか。
(会場、「そうだ!」の掛け声と拍手)



ひとつの政党のためにとか、そういう事ではないと思います。
(会場「そうだ!」の掛け声)


私が一期目、選挙に出たときに思ったことは、
「とにかく、山形をよくしたい」。

山形県を皆さんの幸せのために、全力で働きたいということでありました。
そして皆さんが、そんな無名の私に、チャンスをくださって、
私は東北初の女性知事として就任をさせていただき、
今でも全力で県政に邁進しております。

山形が好きで、山形のために働きたい。
この気持ちが大事だと思います。

梅津さんはですね。
ふるさとのために働きたい。
これまでの、さまざまな、蓄積してきた、さまざまな力を、
すべてを出して、山形市をよくしたい。

山形市民の皆さんの幸せのために働きたい。
そのように思っていらっしゃいます。

私が応援するのは、そこです。
(会場、割れんばかりの拍手に包まれる)




皆さんのために、働きたい。

全力で、働かせてあげて欲しいと、私は思っています。


そして、いま、ちょっと心配なことがあります。
まだまだ、梅津ようせいさんの名前が知られていないんです。
私はその点が心配で、皆さんに、こんなにたくさんの方が集まって
くださいました。
皆さんお一人おひとりが、もっともっと、宣伝をしてください。
「梅津さんを応援しましょう!」と、
本当に明るくてさわやかな方です。
働く世代の梅津さんを、本当に応援して頂きたいと思います。


私が言うにですね、その、受験用語じゃないんですけれども、
ちょっと考えてみました。


梅津ようせいさんの名前をですね。
なんとか、歌のようにして覚えられないかなあと思いました。

「温かい山形」を受け継ぎながらも。
スタジアムをつくる。色々なことをやっていく。
要するに「新しい山形」を創っていくわけですね。


だから新しい、幸せな山形を。

生め、生め、梅津。
(会場、拍手が次第に沸き起こる)

と、梅津さんを繰り返し。


それから、山形を良くしなさい。
良くしようと言いますか、「良うせい」と。
(会場、温かい歓声)


山形を、良うせい。

良くしよう。

ようせい、ようせい。山形を良うせい。

という風にですね。
もう、このようにですね、呪文のように唱えながらですね、
皆さんに広めて頂きたいなという風に、私自身も本当に
なにをやっているんだろうと思っているわけでございますけれども。
さくらんぼの帽子を被ったりね。
(会場、笑みが溢れる)



だって、山形のためなら何でもしますよ私。
(会場、拍手)


梅津さんも同じだと思うんです。




明るくて爽やかで、実行力があります。
これまでの実績もあります。

山形のために、全力で戦う。
ふるさとのために働きたい。
そう思っていらっしゃいます。


ひとつだけ。
なんか、途中ですね。
国会議員(選挙)に出られた時に、邪魔した人がいました。
私です。

その点はですね、本当に天敵みたいに思われたかなという風に
思っておりますけれども、あの時は(参議院選挙が)終わってから
梅津さんに「ごめんなさい」って言ったんですけれども。


いま思えば。
やはり、今度の戦いに挑む。そういう風になる運命の方だったのでは
ないかと。私は、そのように思いたい。

(会場、拍手の音がいっそう高まる)


ぜひ、皆さまの力で、お支えいただきたいと思います。


私も全力で応援します。

皆さん、がんばりましょう。

(吉村知事、深く一礼。会場、しばし拍手鳴りやまず)


URL:https://www.facebook.com/umetsuyoseijp/videos/

小林節(慶應義塾大学名誉教授)・ 長島昭久(衆議院議員)

小林節(慶應義塾大学名誉教授)・ 長島昭久(衆議院議員)



小林節:

慶應義塾大学名誉教授の小林節です。
梅津君の大学時代の指導教授です。
横にいる長島(昭久)代議士は、私どもの研究室で、当時大学院生で
ティーチング・アシスタント。
つまり二人で梅津君を指導しました。

当時の梅津君というのは、はっきり言って「線が細かった」。
とても秀才ですけれども、青白き秀才。
ケンカも弱そうでしたけれども。

それからちゃんと(国家)試験に受かって、上級職の公務員として、
たいへん重要な仕事をして、防衛省で。

それから留学もさせてもらって、ワシントンD・Cでさまざまな知見を深めて、それで帰って来て、役人をしながら、
はっきり言って離婚もしましたし。
それもひとつの経験でしてね。
いまの人間、3分の1は離婚するんですけれどもね。


それで、(参議院)選挙に出てなぜか落ちてしまって、
その後、(農林水産)大臣秘書官として震災の対応などをして、大変苦労なすって。

久しぶりに見たらですね、なんか彼の弱点が全部なくなって(長島代議士、うなずく)、人間として大きくなった。心が太く、深くなった。
きっとこれが、彼が何か大きな仕事をするために熟成して、タイミングが来たんだなと。
指導教授の僕は「偽の親」と言っているんですけれども、偽親としても
「ああ、時が来たんだな」と思いました。
どうでしょうか。



長島昭久:

私も全くの同感で、参議院の選挙に出るといった時、そして戦って。
私も応援に行きましたけれども、まだまだ候補者というよりは
「見習い」みたいな感じでして。


それで運悪く落ちましてね。
それからどうするのかなと思って見ていたのですが、山形から逃げることなく、ずっと地元に張り付いて。
一時、鹿野道彦農林水産大臣から請われて、大臣秘書官をやっていました。
ちょうど、震災の前後でした。

私はアメリカとの関係で、震災の原発処理をやっていたときに、
彼が霞が関にいましたので。
防衛省には相談できないような事を含めてですね、梅津君と相談したりして、
彼も本当に二つ返事で、睡眠を削って随分と協力をしてくれました。


それでその後、また山形に戻って、震災後の活動を山形の皆さんと一緒に
やったという話は聞いてたんですけれども。
どうなっているかなと思っていましたら、今回、そういう皆さんが
震災で頑張っていた梅津君を、なんとか市長にと声を上げてくれたということで。
本当に山形の皆さんは優しい、私も先輩の一人として申し上げたいと思いますし、こんどこそ梅津君はこのチャンスを掴んで(小林教授、うなずく)、
ぜひ活躍してもらいたいなという風に思います。



小林節:

あの、政治というものはいつも言っていますけれども、人間が権力を預かって
多数の人間を幸福にしても、下手をすると不幸にもしてしまうんだけれども、
そういう意味では山形の人々を幸福にするために。

やはり政治は、頭の悪いよりは良いのがいい。
それから人柄は、悪いよりも良いほうがいい。


そういう意味でちょうど、梅津君はそういう時に(あるべき場所に)座っていると思うんですね。


だから是非ぜひ、私も拙いながら応援しますから、想いを遂げてて、そして
我々の期待に応えてほしいです。



長島昭久:

小林先生の応援は百人力ですからね。
ぜひ、その応援を受けて頑張ってもらいたいと思います。
彼は農林水産大臣秘書官を経験しましたから、山形の農林水産業についても
必ずリーダーシップを採っていけると思いますし、防衛省でも活躍しましたから。
第6師団が山形にありますので、そういった防衛省、自衛隊との関係も
彼は充分に引っ張っていける。そういう人材だと思います。

ぜひ、彼には頑張ってもらいたい。
活躍できるよう、私たちも応援しています。



小林節・長島昭久:

頑張りましょう。

URL:https://www.facebook.com/umetsuyoseijp/videos/

近藤洋介(衆議院議員)

近藤洋介(衆議院議員)


同志の皆様、改めましておはようございます。
(会場、「おはようございます」の大合唱)




梅津ようせい候補予定者を中心に、
「オール山形」で、新しい山形をつくろう。
その城が、今日、完成を致しました。

「人は石垣、人は城」でありますが、
先ほど、鈴木隆一先輩、選対本部長の
お話を聴いて、素晴らしい本部長をいただき、
そして今日、お集まりを頂いた皆々様のお顔を見ながら
「いよいよ、戦(いくさ)が始まるな」。
私も気合を入れ直したい、そう思っております。

(会場、しばし静寂に包まれる)

梅津ようせいさん。

皆様にご案内の通りでありますけれども、
本当に素晴らしい男です。




何が素晴らしい。これほど誠実な男を、私は知りません。

30年前から付き合っています。山形東高校の、1年後輩です。
大学も、同じゼミナール(小林節ゼミ)でありました。

6年前に、まじめな外務省の課長職だった梅津ようせいさんを

「山形を、なんとか救って欲しい。
 そして山形県の参議院から、この政権をつくろうじゃないか」

と言って、鹿野道彦先生とともに担ぎ上げたのが私であります。

「申し訳ないことをしたな。」

正直いって、梅津さんを思っています。



でも梅津さんは、真面目に、そしてひたむきに、
この6年間、活動をされて来られました。

そして先ほどお話のあったとおり、鹿野道彦先生の秘書官として
3.11の山形、これに「なんとかしたい」ということで、
震災と向き合いました。

鹿野先生をお支えした農林水産大臣秘書官時代、そしてその後は
地元・山形に戻って「山形防災士会」、新しい会をゼロからつくり、

山形県を、そして山形市を
「災害から守りたい」そんな地道な活動を4年間、いや6年間
続けて参りました。

「大地に根を張った候補が必要だ。」という言葉は、
本日はこの場にいらっしゃいませんけれども、
本間利雄先生の言葉であります。

まさに山形県が「山形らしく」いるためには、
天から降った候補ではなくて、

「大地から湧き上った候補が必要なんだ」というのが
本間先生のお言葉でありますが(会場、歓声に包まれる)、

まさに梅津ようせい候補予定者こそ
この蔵王の麓で生まれ育って、そして中央で20年間
修業を積んで、
そしてその修業を素に、ふるさと山形に帰って来て、

「山形を『オール山形』で立て直したい」。

そんな志を持った男であります。



どうか、皆さん。

梅津ようせいと共に「オール山形」で闘っていこうではありませんか。
(会場、割れんばかりの拍手と歓声)

私も普段は赤のネクタイではありますけれども、本日は
この日のために、珍しく緑のネクタイをして参りました。




本日、配布資料を見たら、イメージカラーは「グリーン」だと
いう事でありました。

もうすでに「以心伝心」なのかなと、そんな思いでございます。
(会場、和やかな笑いにあふれる)

本当に私、残念ながら一票も持っていない米沢の住人に
なってしまいましたが(会場笑)、幸いにも私を産んでくれた
おふくろが松波に住んでおりますので、
おふくろにも死にもの狂いで、いや本当にそうなってしまうと
困るんでありますけれども(会場苦笑)、
一生懸命、母にも力を借りて、私も同級生を一人ひとり確かめて、
本当に一兵卒となって。

この城を拠点に闘いぬきたい。このように思います。

共にがんばりましょう。
(深々と一礼、会場から割れんばかりの拍手)





―7月4日、事務所開きにて―